目覚まし時計を三回も押してしまって、気づいたらいつもより十五分遅い。慌てて布団から出て、洗面所の鏡を見ながら、今日もまた一週間が始まるんだなと思う。一人暮らしの狭い洗面台には、化粧水と乳液とちょっとした日焼け止めが並んでいるだけで、それ以上は正直増やせない。
乾燥肌で敏感なわたしは、朝は特に何かを足すより、何も抜かないことを大事にしている。時間がない日ほど、化粧水をコットンでぱたぱたはたく余裕はなくて、手のひらで押さえるだけになるけれど、それでも保湿だけは飛ばさない。飛ばすと日中ずっと顔がつっぱっている気がして、結局あとで後悔することになるから。
先週なんて、寝ぼけたまま乳液だと思って洗顔料を手に取りかけていて、鏡の前で一人で笑ってしまった。そんな寝ぼけ具合だったりする(笑)。それでも慌てながらも保湿だけはちゃんと済ませて、駅までの道を早足で歩く。八月の朝はもう蒸し暑くて、歩いているだけで汗ばむのだけど、日焼け止めを塗っていると、少しだけ肌が守られている気がして安心する。
会社の後輩が朝から丁寧な何段階もの手順をこなしていると聞くと、正直ちょっとうらやましくなる時もある。でも比べ出すときりがないし、今のわたしにはこのくらいの分量が合っている気がしているから、無理に真似はしないようにしている。習慣って、誰かの正解より自分が続けられるかどうかのほうがずっと大事なんだと、最近になってようやく思えるようになった。
満員電車に揺られながら窓に映る自分の顔を見て、今日はそんなに崩れてないかもと思えると、それだけで月曜日のスタートが少し軽くなる。完璧な手順じゃなくても、最低限だけは崩さない。そういう小さな積み重ねが、私の場合は肌の調子を保つことにつながっている気がしている。
派手なことは何もしていないけれど、続けられることが一番なんだろうなと、今朝もまた思った。
※この記事は個人の体験・感想であり、効果を保証するものではありません。肌に合わない場合は使用を中止してください。
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朝の保湿を飛ばすと日中つっぱるのは、朝の洗顔で肌の水分や油分が流れたままになるからだと言われているらしい。つっぱり感は肌からの「何か塗って」のサインなのだとか。そう思うと、慌ただしい朝の手のひら保湿も、ちゃんと意味のある応答だったわけで、コットンでなくても堂々としていていいのだと思えた。
今朝も結局、目覚ましは三回押した。それでも保湿と日焼け止めだけは済ませて家を出た。パーフェクトからはほど遠いけれど、自分との最低限の約束を今週も守れている。月曜の私には、それでもう合格点だと思うことにしている。
最低ラインを決めておくことのもうひとつの効用は、罪悪感の管理だと思う。全部できなかった日に「今日はだめだった」と思うか、「最低限は守れた」と思うか。同じ一日でも、寝る前の気分がまるで違う。私の場合、罪悪感は肌より先に心を乾燥させる。だから合格ラインは低めに、でも確実に守れる位置に引いておく。月曜の朝の私には、そのくらいの優しさがちょうどいい。
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