蝉の声が満ちる午後、麦茶を一杯もらいに立った日

日記
お知らせ:「さき」は自分ケア編集部が創作した架空の人物であり、実在する人物ではありません。このブログは、編集部が一人称のエッセイ形式でまとめた体験談・情報コンテンツです。内容は個人の感想を模したものであり、効果を保証するものではありません。

月曜日の午後は、いつも少し重い。ランチを終えて席に戻ると、蝉の声が窓の外でずっと鳴っていて、それだけでもう肌がじわりと汗ばんでくる。今日は八月に入って最初の月曜日で、朝から気温がぐんぐん上がっていた。パソコンの画面を見ながら、頭の中では「今週も始まったな」という気持ちと、「もう疲れたな」という気持ちが、同時に流れていた気がする。休み明けというだけで、体より先に気持ちのほうが重たくなる日もあるものだと、この頃はそんなふうに思うようになった。

ふと、隣の席の人が飲んでいる冷たい麦茶が目に入って、自分も一杯もらいに立ち上がった。給湯室までのわずかな距離を歩くだけなのに、気分が少し軽くなるのが不思議だった。冷たいグラスを手のひらで包むと、それだけで肩の力がすっと抜けていく。ずっと座りっぱなしで固まっていた体が、ようやく少し息をついたような感じがした。廊下ですれ違った同僚と、暑いですねと二言三言だけ交わしたのも、なんだか少しだけ救いになった。

席に戻る途中、窓の外の空がやけに眩しくて、思わず立ち止まってしまった。真夏の午後の光って、こちらの気持ちなんて全然お構いなしに、ただまっすぐ強い。そのまぶしさに少しだけ元気をもらった気がして、今日はこのままの気分で夕方まで乗り切ろうと思えた。強がって無理に元気を出すより、今の自分の速度でいいのだと、光を見ながらなんとなく納得できた気がする。

グラスの水滴を指で拭いながら、ふと、こんな小さなことでいちいち救われている自分に気づく。冷たい麦茶一杯とか、窓から差し込む光とか、本当にささやかなことばかりだ。でも疲れている日ほど、そういう小さな瞬間の積み重ねが自分を支えてくれている気がする。無理に元気を出そうとするより、今日はこれくらいの気分でいいんだと、自分に言い聞かせながら午後の仕事に戻った。明日はまた違う気分になるかもしれないけれど、それでいいのだと思う。

※この記事は個人の体験・感想であり、効果を保証するものではありません。肌に合わない場合は使用を中止してください。

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あとで思い出したのだけど、短い休憩をこまめにはさむほうが集中が続きやすい、という話をどこかで読んだことがある。数分だけ席を立つ、遠くを見る、飲み物を取りに行く。そんな小さな中断が、脳にとっては案外大事らしい。麦茶を取りに立ったあの数分は、たぶんそういう意味でも正解だったのだと思う。

水分補給も、暑い季節は思っている以上に大事だと言われている。喉が渇いたと感じたときにはもう遅い、なんて話も聞くから、最近はデスクにマイボトルを置いて、一時間にひと口ずつ飲むようにしている。肌の調子も水分と無関係ではないらしいと聞いてからは、麦茶がただの飲み物ではなく、小さなセルフケアに見えてきたから現金なものだ。

月曜日の重たさは、たぶんこれからもなくならない。でも、重たいなりの過ごし方を少しずつ覚えている。冷たい麦茶と、給湯室までの数十歩と、窓の外の光。そのくらいの道具立てがあれば、月曜日の午後もなんとかやっていけると、今日の私は思っている。

帰り際、給湯室でグラスを洗いながら、明日の自分のために麦茶のパックを補充しておいた。未来の自分への小さな差し入れのつもりだ。こういう数十秒の仕込みが、次の日の午後をほんの少し楽にしてくれる。月曜日と仲良くなるのは難しいけれど、月曜日の午後の過ごし方なら、少しずつ上手になれる気がしている。

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